終わった・・・

怒涛の日々が、終わった。


昨日、卒論を出した。
2日間眠らずに、3分の1くらい書いた。
出す前は、緊張で身体がぶるぶる・・・
出し終わったときは、寝不足で足がかくかく・・・
家に帰ってしばらくは、放心。
そして、少し片付けなどして、
疲労のあまりベッドにたおれて、
頭のオーバーヒートが少しおさまったかと思うと、
一気に、ブラックホールに吸い込まれるように、
眠りに落ちた。


締め切り2日前、パソコンの調子がわるくなって、
暴風雨のなか、自転車で田無まで行き、
敬子の家にとまらせてもらった。
やさしいご主人と和みの時間。
おいしいごはんもご馳走になった。
至れり尽くせりなのに、まったく気をつかわせない、
ザ・ホスピタリティの家。


1日前、敬子の家から送ってもらった。
すると、昨日やった分のファイルが開けないことが判明。
敬子にあれこれ模索してもらったうえ、
だんなさんに来てもらうことに・・・田無から。
(途中まで来てたところで、こちらでなんとかなって、
また引き返してもらった。)


そうやって開けたファイルを、
今度は貴子に送り、彼氏に添削してもらう。
(English Abstractの部分。)
本当は昼ごろ送るはずが、夕方になってしまった。
「大丈夫、パニくってるのわかるよ、
こちらはいいから。送ってみて。」
って言ってくれた。
送り返してくれるとき、
「あなた、やっぱりすごいよ。」
ってほめてもらえて、またふるいたつ。


そのあとは、カモちゃんが校正をしに来てくれた。
誤字脱字や、わかりにくい表現など指摘してもらえたら、
と思っていただけなのに、
論文でとりあげている小説を買って、
まるまる読んできてくれた。
深いところまで、指摘してくれて、
最後は、「がんばりましたね、本当に。」
「こんなに深く考えている人、院生でもいないよ。」
って言ってくれて、また、胸を熱くしてくれる。



3日前、ふつうならもう提出している日に、
この期におよんで本を借りに、学校に行ったら
先生の右腕のTさんに会う。
「Tさん」と声をかけたら、
「ああ、出しましたか?」と。
(まったく顔だしてない私を覚えていてくれた。)
「いえ、まだです。月曜日に出します。」
おそらくとんでもなく切羽詰った顔で、
先生にこれまで一度も相談していないことを説明。
もう提出後まで会える日がないので、
提出日の先生の授業後に、
教室前で待っていてあいさつしてはどうか、
と言ってくれる。


「では、出せれば・・・(なんとかなるんですね)!」
と言いかけた私の言葉をさえぎって、
「出せます!」と、きっぱりおっしゃった。
たぶん、「出せれば、出します」と言いかけたと思ったんだ。
おかしかったけど、私がどんなにひどい状況にいるかも
話していないのに、「出せます」と言い切れること。
少しも甘さはないのに、やさしいこと。
すごい人だと思った。
かもちゃんに話したら、このすごさ、共感してくれてうれしかった。


これらの友人&その家族、知り合いの
誰が欠けても終わらなかったと思う。


ほんとうに感謝。ありがとう。


そして、目指していたものの
2割くらいしか届かなかったけど、
その2割のなかで最後まで最高を目指してがんばれたこと、
感謝。


怒涛の日々が終わる。


父親の入院。
長年の心の病のもとと向き合い、小さなしこり程度にまで治した。
(完全になくなることは、ないとしても。)


就活、内定。
ようやく、自分の力で生きていける土台ができた。
この先、いたければ何年でもいていいし、
ほかに行きたければ自由に出て行ける場所。
「言葉が同じ」と感じられるところに受け入れられたことが
何よりもうれしい。


卒論。
人に読んでもらう文章を、これほどまとまった量書いたのは初めて。
ぐうっと力をしぼって、中の方に降りていき、
言葉がつながりあうのを待つ。
ものごとのつながりが、見える瞬間を待つ。
捉えたものを、一気に見える言葉に引き出す。
ということの連続だった。
書くって、こうやるのか、と思った。
体力勝負って、なるほどね。


作家の「幻視」、
夢を見ているように、自分にはどうにもならない世界で、「書く」。
ここで得たものを、うんと精度高めていけば、
私にもいつか垣間見ることができるかも、と思った。
それをしたい、と思った。
言葉は、自分のなかに、とても広い地下空間に、
ちゃんと眠っている。


そこにたどり着き、とり出すことができるかは、
どれだけそこまでの道をならし、
勇気をもって、毎日毎日歩くか。
一日さぼれば、それだけ、道は草で覆われてしまう。


ああ、届いてみたい。と、心から思った。
その世界に通じる道を持ていれば、
何があっても生きていけるような気がした。


Tさんの言葉、存在がうれしいのは、
その世界を、そこでの悲しみを、
知っている人だと感じるから。


毎日が、ほんとうに貴重になった今の思いを、
持ち続けていきたい。


後悔していることは、
(たくさんあるけど、そのなかでも一番は)
ダイエットにさく力がなかったこと。
最後におばあちゃんに会ったときより、7キロも増えてしまった。
あんなに支援してもらったのに、戻ってしまったこと、
どんなに悲しむだろうと思うと、胸に裂傷がふえていく。


馬鹿だと思ったのは、昨日、
卒論終了の連絡を母親にしたとき、
リバウンドしてしまったことでおばあちゃんに感じる負い目を、
そのまま阿呆のように、垂れ流してしまったこと。


そんなことだけで評価されているわけじゃないとわかっているし、
自分の情けなさを人に話して癒してもらおうなんて、ほんとに甘えていると感じるし、
お母さんが逆におばあちゃんに、どうしようもない怒りを
抱いてしまい得ると、わかっているのに。
情けなさで涙が出た。
母は、さぞ切なかったろう。


今週末、うちに泊まる予定だったのに、
やっぱり日帰りにする、と、今日メールが来た。


ダイエットは、これから集中できたら、と思う。
数ヶ月後には、笑って人に会いたい。
今の切なさが、報われますように。


光が見えなくても、歩くことの意味を、
そうして必ずたどり着くゴールでの歓びを、
この数ヶ月で、学んだ。
身に刻んだ。
これからも、なまらせずに生きていきたい。
一生懸命、歩きたい。
ずるをしない。


面白いこと、どんどんする。
めいっぱい、喜びを受け止める。
着実な毎日、つくりあげていくぞ。