あいさつ

卒論アドバイザーの教授に、
いちども会わないまま論文をしあげて、提出した、と昨日書いた。


さすがに、まずいんじゃないか、とずーっとずーっと思っていた。
一年間まるまる。


提出はしちゃって、もうどうしょうもないけれど、
せめてあいさつだけでも、と思っていた。


昨日は、2駅となりまでお菓子を買いに行ったし、
論文で扱った本も渡そうと準備し、
あえても先生の時間がないときのこと考えて、手紙まで書いた。


が、結局、面と向かってあいさつしに行かれなかった。
授業の終わるタイミングとか、オフィス・アワーの時間に
自分の行動をあわせる気力がない。


卒論が終わってから、やるべきことをためる事に
たえられない気持ちが強まったままで、
けっこうてきぱきパワフルに動けている自分に
驚いたりもするのだけれど、
どこか一部でぶっつりと糸が切れてしまっているのも事実。


父親に対しての疑念が・・・ふたたび、ふつふつと湧き上がり
はじめていることもあるのかも。
「薬飲んでいる」との即答は、たぶんうそだと思っていたけど、
もうすこし、せめて2,3年は、もつといいと思っていた。


でも、期待はしないほうがいいんだと思う。
目の前の借金返済の道、いつか突然途絶えて、
また甘ったれの父親に寄りかかられて
臭気のなかを生きることになるのだと、ちょっと前もって
必要以上に悲惨なシナリオ、想像しておいてみてる。


わたしなりの、自衛だ。
心が折れて、人に心を閉ざさないために、最初から受け止めておく。


いま、この瞬間の自由を、ほんとうにすがすがしい気持ちで満喫しているのも事実。


これからもきっと、大きな山も一歩一歩越えていける、と
自分を信じられている幸せ。


手を抜かなくてもいい、ほんとうに大切なことを慈しんでいってよい、と思える幸せ。


人に好意を持ってもらえている実感。


これからどこへ行っても、何をしてもいい、
ほんとうにひとりぼっちでも、きっと生きていける、と
見通しをたてられている安心感。


ずっと、気持ちのいいベルベットの手触りのなかにいるみたい。


藤沢周平を読むと、ああ帰ってきた、と感じる。
切なさも、耐え忍ぶ気持ちも、いつか、ではなく、いまそのままで
淡い日の光のなかにある、と思える。
わたしの切なさも、世界の一部になる。
切なくても、そうやって強く生きていっていいんだと、
登場人物に寄り添ってみることで、ようやくわかる。


蝉しぐれ」の最後。

・・・記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がしたが、
助左衛門の気持ちは一方で深く満たされてもいた。会って、今日の記憶が残ることになったのを、しあわせと思わねばなるまい。
・・・
 顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。
・・・
砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。
 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。



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じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

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夜、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」を立川で観た。
「はいー??」としか言えない、感想。