松本にて

ひさしぶりに、一週間も滞在していた。


光にみちた、松本の夏。


クーラーもなく、ネットにもほとんどふれず、


ただ祖母を手伝って働き、昼寝し、


母の蔵書を探って児童文学の世界につかり、


もらいものの採れたて野菜を一日三食たっぷり食べて、


夜はたたみの匂いをかぎながら、早く寝る。



東京から持っていった本は、受けつけなかった。


児童文学しか、どうしてもだめだった。


そういう心になっていた。


帰省するとき、いつもうすうす感じていたけど、今回は顕著だった。


守られていて、そのすべての重みを引き受けなくてはいけない。


「諦観」や「皮肉」の入る余地のない、まっすぐすぎる目を


維持しなくてはいけなくて、


まっすぐさから、希望から、逃れられない。



読んだのは、『オオカミのようにやさしく』(G.クロス)と、


『運命の馬 ダークリング』(ペイトン)と、


『狐笛のかなた』(上橋菜穂子)だった。


とくに、『運命の馬・・・』は、感動がさめやらず、


一晩中眠れなかった。



どうして、メロドラマや「おしん」になってしまわないのか不思議なのに、


うさんくささやこびは、ツユほどもなくて、


ひたすらよりよい未来へと向かう物語に流れる


想いや動きのすべてが、サラブレッドの輝く筋肉と対応しているようだった。


ああ、こういうところで、私は呼吸ができるんだ、と思った。


ひとつひとつの言葉に、がてんがいき、


教えられ、「これでいいんだ」と安心し、


求めていた生き方が、深いところから思い出されてくる。



どの登場人物も魅力的で、「本当に悪い人」にすべての


責任をおっかぶせるような妥協がいっさいなくて、


ひとまわりして、一抹の不安を感じてしまうくらい


未来を輝くものとして描けるようになっている。


希望の純度が増している。


無為な時間がおしくて、動かせるところをすべて使って、


働きたくってたまらないくなってる。


ふしぎ。



『オオカミ・・・』でも、やっぱり


同じように、明るいものを「思い出す」感じがあった。


心がふるえるほどの、人への、人生への、愛情が再来。


ただ、こちらは、ぼっかりと「理解不能」の部分が


解消されないまま残ってしまう。(主人公の父親)



自分の生きるべき世界の、核心にあるものが、


何年もかけて近づいたり遠ざかったりしているうちに、


だんだんわかってきている。



もしかしたら、この胸のうちに湧いてくるものを


形にあらわす努力を、勇気を持って、し続けたら、


もしかしたら、もしかしたら、なにか書けるかもしれない、と、


心のかたすみで思い始めている。



よけいな力がぬけてきていることも、今回よくわかった。


そして、それに比例して、他者の評価もあがることも。


世界との、和解が進んでる。


捨てたもの、あきらめたもの、泣きながら必死で受け止めたもの、


いつのまにか鍛錬してたもの、それらによって、


どろどろだった目が洗われたのか、


会った瞬間、人に視線が届くのを感じる。


何も知らない人に、ほめてもらえる。



まだまだ、これから乗り越えなくてはならないこと


たくさんあるけれど、問題の質・量変わらなくても、


ちょっとずつ楽になっている。


つまり、強くなってる。耐性ができてる。


逃げずに引き受ければ、それでも笑ってる今の方向を


自信もって歩いていけば、きっともっといろんなものが見えてくる。


「書ける」自分に近づいていく。



「その時」が来たら、迷わず踏み出せるように、


できる限りの力で、研ぎ澄ましていこう。



もう、できるだけ、目を曇らせないですみますように。


ひとりで東京にいると、あの光の世界から、すこし遮断されている気がする。

無理にではなく、綾を織ろう。


でも、守れるものなら、あの輝ける光を、守ろう。


いつでも、手のなかにおいておきたい。


オオカミのようにやさしく (世界の青春ノベルス)

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運命の馬ダークリング (世界の青春ノベルズ)

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狐笛のかなた (新潮文庫)

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